INTERVIEW

【インタビュー】小寺良太×阿部修克──“楽しみながらやるのが一番だし、俺らだって楽しくてやっているわけじゃん。”

2026.02.12

椿屋四重奏をはじめ、メロディオンズや手島大輔trioなど、多彩な現場で太いグルーヴを支えてきた小寺良太。アーティスト活動と並行して、のべ1,000人以上にレッスンを行ってきた氏に、旧知の仲であるBoogie Line代表・阿部が話を聞いた。


──まずは音楽を始めたきっかけを教えて下さい。 

小寺 ドラムを始めたのは高校一年生の時なんですけど。中学まではいわゆる陰キャみたいな感じで。でも高校に入って友達ができるタイミングで、バンドやろうみたいな話になって。うちにドラムセットがあったから、じゃあ俺ドラムやるねってなった感じ。 

阿部 なんでドラムがあったんですか?

小寺 父親がジャズドラマーだったんだよね。実家はホンダのショールームで、2階に家族で住んでたんだけど。お父さんは店長でね、なぜかショールームの車を飾ってある横にドラムセットも飾ってあった(笑)で、半年に1回ぐらいドラムセットとお父さんが夜いなくなるんですよ。どこかにライブしにいってたんだと思う。 

阿部 面白い家ですね(笑) 

小寺 そう、それでドラムやり初めて、文化祭とかで演奏するじゃん。そしたら人気者になれて(笑)ドラムをきっかけに陽キャ側に変わったわけ。そもそも岡山の田舎なんで、ドラム叩いてる子なんて学校に1人2人しかいなくて。だから凄い数、コピバンの掛け持ちをするんですよ。その当時流行ってた日本のビートロックとか、ビジュアル系とか、そういうやつをガシガシコピーして。ヤマハポピュラーミュージックスクールに3年間も通ってね。そのうち町じゃあ一番うまいみたいな感じになってきて。調子に乗って『俺は東京いくわ』ってなって、高校卒業して、専門学校のメイザーハウスに入学するんだよね。で、マジで俺が一番上手いと思って入学したんだけど、蓋を開けてみたら中の下だった(笑)東京来たらみんなすげえ上手いんですよね。びっくりしました。 

阿部 わかります。俺も大分でスラップできるの俺だけだったんですけど、東京来たらみんな普通にやってて。

小寺 東京来てダブルストローク知ったもん。田舎ってのもあったけど、あの当時は今みたいにYouTubeとかインターネットがないから。もう「バンドやろうぜ!」を読むしかなかった。あとドラムマガジンとかね。

──フェイバリットを教えてください。 

小寺 今はレッドツェッペリンですね。ロックドラムの基本っていうかお手本にしているのはジョン・ボーナム。いっぱい真似しましたね。あと真似した人は、スティーブ・ガットと佐野康夫かな。 

──どんなふうに音楽活動を始めました?

小寺 大学でメロディオンズの藁貝と寮が同じで。彼といろんな大学に突入していって、面白そうなやつを探そうっていうので、慶応大学のEUROロック研究会の部長をやってたやつとバンド組み始めたのが最初です。だから EURO ロック研究会のライブに出てた。全然慶応生じゃないのに。

──今まで衝撃を受けたライブ、印象に残っているライブなどありますか?

小寺 最初にライブを見たのは、リンドバーグの全国ツアー。地元の倉敷市民会館に来たんだよね。高校の頃、リンドバーグのコピーバードを3年間やってたんで。それはもう神が降臨したのかと思って。あとは来日したMR.BIGを見に行った時。こんなに楽器の上手いやつがいるんだって驚いたね。 

阿部 MR.BIGはどこで観たんですか? 

小寺 それも倉敷! 

阿部 ええ!そんなとこにも来てたんですか!? 

小寺 日本で人気だったからね。お客さん入るから。あと最近はブルーノートで見たレイラ・ハサウェイかな。しかも何が感動したかって、センターの一番前の席だったから、こんぐらいの距離でレイラ・ハサウェイ歌ってんの。『やべぇ!』ってなった。もうボトル2本開いちゃいました。 

阿部 開けましたねえ(笑) 

小寺 開けました。全然チケット代より高くなっちゃって(笑)ブルーノートですからね。でもあれは感動した。ベースはスナーキーパピーの人だった。 

──機材、使用機材やこだわりについて教えてください。

小寺 沢山あるけど、最近買った一押しはラディックの71年のセット。しかもほとんど使われていないミントコンディションで。色はブラックオイスターで見た目もバッチリ。レッドツェッペリンとかビートルズとか、みんなラディックとかロジャースとか使ってるから、やっぱりその辺のメーカーが好きかな。ラディックはもう一個、赤いセットも持ってる。 

──音楽をプレイする上で大切にしていることは?

小寺 歌ですかね。僕ら、歌の従者なんで。あいつらが白っつったら、黒いもんでも白ですから(笑)歌聞かすためのものだから、歌モノなんて。で、俺は歌モノが好きなんで。インストもやるけど、インストはまあ楽器が歌になるだけで。すげー難しいことやってやろうとか、そういうのではないかな。椿屋は結構難しくなるけど、でもまあ、歌中心かな。 

阿部 リズム隊とかの関係みたいなところとかって、なんかありますか?特にベースとかと、どうシンクロしていくのみたいな。 

小寺 前は色々考えてたけど、最近は勝手に引っ付いちゃうもんだと思ってる。振り子とか磁石みたいな。昔は『聞かなきゃ、合わせなきゃ』って思ってたけど、今は自然と聞こえてくるし、合っちゃうものだと思っているかな。 あとは気をつけるところって、歌がどうドラマチックに聞こえるかっていうことで。ドラムを一個の部品として考えるようになるから。俺だけがどうのとか、そういうことじゃなくて、みんなで結果いい感じになればいいかなと思って。やっと自然にできるようになってきたかな。 

──今の日本の音楽シーンについて思うことはありますか? 

小寺 そんなにディグってないんですよ、おじさんの悪いところですけど。別に新しいのが嫌ってわけじゃないなくて、街で流れててかっこいいなと思ったりもするよ。ただアクティブに聞きに行ってないかな、今は。 

阿部 我々の時代からすると、CDの売り上げありきの音楽業界がなくなって〜みたいな。そういう業界について何かありますか? 

小寺 や、特にはないです。みんな今の人たちは今の人たちで頑張ってるから文句とかもないですし。今の人は今の人で大変だろうしね。最近はちょっとしたショートでバズらなきゃいけなかったりするけど、でもショートでバズったのが全部聞かれるかっていうと聞かれないしさ。なんかこう、じっくり聞く音楽が減ってるような気はするけどね。瞬発的にこうこう、ガッと決まるみたいな。そういう音楽が多いような気はするね。 

阿部 僕は最近の曲、全部同じに聞こえるんです。 

小寺 それを言ったらダメ(笑)それを言わないように喋ってたのに。おじさんの極みだから! 

阿部 あと、なんか許せないのが、ボーカルのピッチシフトをめちゃくちゃ使うじゃないですか!うちの娘が聞いてる韓流の曲とか、もうキーボードにしか聞こえなくて。 

小寺 頭の固いおじさんだね、ここの社長は(笑)いやでもまあ、今の子たちがそういう曲を聞くのは別に咎めないし。でもなんかおじさんの責務としては、味わいの深い音楽をもうちょっと残していけたらなと。アーカイブでもそういうのがいいって言われる日が来るかもしれないし。なんか多分美意識が違うんだと思うのよ。世代によって。だから、それは別にその良い悪いじゃないの。音楽に優劣ない。そうそう。 

阿部 結局は好きか嫌いかになっちゃうみたいなの話ではありますけど。 

小寺 ただやっぱ俺たちはもうさ、無駄に長く生きちゃってるから、美意識が固まってるところあるじゃん。これはかっこいい、これはダサいみたいなのがもう固まっちゃってるわけ。 

老害なわけさ。でもやっぱり自分が気に入ったものをじっくり聞いたり作ったりできたらいいなと思います。そこはもう変わんないかな。でも新しいものでいいなと思うものがあったらそれは全然いいし。 

──どんな人にレッスンに来てほしいですか? 

小寺 老若男女どなたでも!いろんな人に来て欲しいね。プロ思考の人や、デビューしたてのバンドの子とかもいいし、逆にスティックも持ったこと無いけどドラムやってみたいって人も大歓迎。音楽ってプロだけのものじゃ無いから。楽しみながらやるのが一番だし、俺らだって楽しくてやっているわけじゃん。プロアマ問わずで、敷居が下げられるようなレッスンだったらいいかなって思います。 

──レッスンを検討している方々へ一言お願いします。 

小寺 あ、えっとね、あの、ものすごい軽い気持ちで来てください。(笑) レッスンを受けようと思っていて、色々調べたりすると思うんだけど、いい美容師探すのと同じなんで。相性なんだよね。いい美容師にパッてハマったらずっと通うでしょ。あれと一緒で、どうしてもこいつなんか性に合わねえなみたいなのとかあるから絶対。だからね、いろんな先生に体験レッスン受けてみれば良いかなと。 

あとは楽器って技術介入度の高い遊びだから、あのお手軽ではないのね。携帯ポチポチとかの方がお手軽に楽しい。でもその時の出るドーパミングの比じゃ無いくらい、楽器はハマると楽しいですよ。『できない…できない…あ、今ちょっとできたかも!』みたいな瞬間の方が100倍ドーパミンが出るんですよね。そうだから、気持ちよくなりに来てください! 

小寺良太

1976.3.28生まれ。高校からドラムを始め卒業と同時に上京、音楽学校メーザーハウスに入学し日野元彦、小山太朗、見砂和照に師事。2003年に椿屋四重奏のドラマーとしてデビュー。2011年の解散後はフリーのドラマー、ドラムチューナー、ドラム講師として活動。レコーディング、サポートドラマーとして多数の作品に参加。2025年春には椿屋四重奏が再結成し全国ツアーを回った。

阿部修克

Boogie Line代表。元バンドマン、ベーシスト。2000年頃より下北沢GARAGEなどを中心にライブ活動を開始。Lighty Lights、砂場のベーシストとして活動し、フィッシュマンズのプロデューサー窪田晴男氏のプロデュースのもとアルバムを制作。その後バンド解散を機に音楽活動から一度離れる。新星堂にてPOSシステムの開発業務に従事したのち独立。株式会社ファブトリーを設立し、自社音楽事業部としてBoogie Lineを立ち上げる。